井の頭弁財天(大盛寺) <弁財天>

井の頭弁財天は、天慶年間(938-946)に関東源氏の祖・源経基が伝教大師の延暦8年(789)作という弁財天女像をこの地に安置したのが始まりで、その後建久8年(1197)に源頼朝が東国の平安を祈願して宮社を建立したとされている。また、正慶2年(1333)には新田義貞が鎌倉北条氏と対陣する際に戦勝祈願を行なったとも伝えられている。

江戸時代に入り、徳川家康は江戸入府に際して上水道の整備を行なうが、その際の水源として選ばれたのが井の頭池であり、その上水路が神田川である。

家康自身も何度かこの地を訪れたとされ、慶長11年(1606)に家康が井の頭池の水でお茶をたて、その時に使用したとされる茶臼は今も弁天堂に伝えられている。

三代将軍家光の代になるとこのあたりは鷹狩り場とされ、寛永6年(1629)に家光が訪れた際に、この池の水は江戸の飲料水の源・上水の頭であることから「井の頭」と命名し、池のほとりのこぶしの木に小刀で井の頭と刻んだと伝えられている。

井の頭弁財天1

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