栄見山 観音院

阿弥陀如来像

【徳川の幕領地として松平直政の鷹狩り場であった境の歴史を今なお語り継ぐ「観音院」】

観音院は承応二年(1653)に開山の盛岳栄見大和和尚により開創された幕府公認、曹洞宗大本山永平寺の末葉である。

境村は万治年間、徳川家の幕領地として松平直政(松江藩主1648~1652、祖父は徳川家康)が下屋敷を構え松江藩が統治していた。屋敷内には東側に杵築明神、稲荷明神が祀られ、西側には観音堂が建立されたとされる。これらが今日の観音院であり、神社は杵築大社である。

江戸期の文化9年(1813)、文政8年(1826)、昭和5年の3度の火災で伽藍や法物等や古記録を失った。堂内に安置されていた聖観世音菩薩像(行基作、一尺像)は昭和5年の火災で焼失しているが、本尊の准胝観音像(じゅんていかんのんぞう、江戸期重宝)は現存する。昭和15年仮本堂を建立し復興を発願、現在の29代瑞雲正行住職に至って本堂、客殿山門、鐘楼堂、等の諸堂を建立復興された。

墓地内には、武蔵野市内最古の石仏「阿弥陀如来像」(天和2年(1682)造立)が安置され、市の有形文化財に指定されている。この石仏は松平直政の命により、下屋敷跡地を開拓し出雲新田(境新田のちの境村)を開いた保谷三右衛門の追善供養のために造立された。美術的にみても螺髪・肉髻の単純化、尊顔の素朴な微笑、印相の表情の巧みな表現等の彫法は、市内所在の石仏として代表的な美しさを持っている。

松平直政の信頼を集め、幕府下屋敷(現在の境及び境南町)の開墾に尽力した下田三右衛門の供養のため造立した阿弥陀如来像には『栄見道喜信士』の法名が刻まれている。松平直政の法名『高真院殿歓誉一空道喜大居士』から『道喜』の2文字を頂いたもので、300年前のその時代の消息を想像し、境村開闢の一端に触れることができる。

現在は29代目の住職に受け継がれている。

 

梵鐘

おもな年中行事

■新年暁天座禅           1月1日~3日
■釈尊涅槃会               2月15日
■釈尊(御誕生)花祭り  4月8日
■開山忌                      4月21日
■大施食会(観音祭)    8月3日
■除夜の鐘                  12月31日/23時30分~25時30分(先着108名)

その他の行事(公開講座)

◎暁天座禅会               毎朝(無休)5時30~7時
◎参禅会                      毎週月曜日 朝5時~7時 座禅と朝課、作務
                                                       夜19時~21時 座禅(仏典購読会)
◎仏典講読会               毎月第1、第4の月曜日 夜
◎お袈裟の会               毎月第3土曜日 13時~17時(お袈裟を縫う会)
◎摂心                         毎月末の月曜日及び土曜日 4時~21時(禅堂内にて只管打座の修行※各会参加は自由

所在地

武蔵野市境南町2-4-8

TEL

0422-31-8482

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